「楽しむ!」という言葉の意味をもう一度考える

お久しぶりです。なみです。

気がついたらこちらのブログ、昨年は全く更新してませんでした(泣)

本来だったらあちこち国内の代表戦に行ったり再度ポルトガルに行っていたはずだったのに、これというのも全て新型コロナウイルスが悪いとしか言えません…。

それでもこのブログはたまに閲覧数がエラく伸びる時がありまして、今日現在ここまで13000回以上の閲覧履歴が残っていました。

どういうルートでこのブログにたどり着いたは分かりませんけど(笑)、改めてこの場を借りて御礼申し上げます。

 

さて今回の本題について私なりの言葉で書いていこうと思います。


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東京時代に何度もユニやゲーフラなどにサイン貰いに行きましたが、毎回サインと一緒に「何か一言」とお願いしていて、その度に書かれていた言葉はいつも「楽しむ!」でした。

この言葉は東京時代に試合に出ていた頃は勿論、試合に出られなかった時もU-23の試合に廻された時にもずっと書かれていました。

彼にとっての「楽しむ!」はよりサッカーが上手くなる為の魔法の言葉でした。

ドリブルで大柄な相手を抜き去り、意表を突くパスでゴールを演出し、そして自ら得意な角度でシュートを打つ。

これらの動きがゴールに繋がった時の彼の笑顔は本当に眩しく見えました。

中には「サッカー選手が遊び感覚で楽しむなんてけしからん」と言う人もいましたが、元来サッカーは苦しみを味わうためではなく楽しむものだと彼のプレーから感じた人も多いのではないでしょうか。

 

ただ、ポルトで過ごした1年半は想像以上に苦しみを感じる時間が多かった、というのが実感です。

ポルトは翔哉くんが日本にいた頃から好きなクラブと公言していましたし、ポルトに移籍が決まった時は心から嬉しかったです。

「またポルトガルで翔哉くんのプレーが観られる!」静かに心踊りました。


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ひとつ引っかかりを感じた部分があるとすれば、ポルトの背番号10の前任者オリベル・トーレスの存在でした。

彼も翔哉くんと似たタイプのプレイヤーでしたが、コンセイソン監督の元で出場機会を減らし、その後移籍となった経緯があったからです。

オリベル・トーレスはなぜ出場機会を減らしていたのか?

それはコンセイソンが重視する戦術とマッチしなかったという理由でした。

コンセイソンが求めていたのは前線の選手にも攻撃以外の複数のタスクをこなすこと。

それは選手の個性より重視していた面でした。

シーズン開幕後、先発で使っていたのは同時期に加入したコロンビア代表のルイスディアス。

まさにコンセイソン好みの選手です。

その結果、加入直後は先発ではなく途中出場が多くなりました。

その後日本でも話題になったポルティモネンセ戦での一悶着もありましたが(笑)、その後ライバルの怪我や不調などで翔哉くんがボルトで試合に出られるようになった頃は、試合中彼を中心にそれまでになかった躍動感を見せていた場面がいくつもありました。

もし新型コロナウイルスがなければ、そのチャンスは更に広がっていただろうと思います…。


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ポルトというクラブは他のクラブに比べて情報統制が厳しいことで有名で、今回アルアインに移籍するまでの1年間、彼のリアルな声を聞く機会がありませんでした。

その間ポルトの機関紙でのインタビューはありましたが、日本まで彼の声はなかなか届きません。ブログも更新していませんでしたし。

ポルトの場合日本語の通訳も置いていなかったので、情報はポルト側からの方が圧倒的に多く、その中でクラブとの話し合いで翔哉くんがパニックに陥ったという報道もありましたが、それは真実かどうかは分かりません。

ひとつ言えるのはここから移籍が決まるまでの間、孤独を感じることの方が多かったこと。

ポルトがリーグ優勝を決めた時もその場にいませんでしたし、その直後コンセイソンがSNSに投稿した動画には選手の名前がクレジットで流れる中、翔哉くんの名前さえありませんでした。

(ちなみに今季開幕前のキャンプも初めは参加の許可が得られなかったのですが、他の選手から参加させてくれと監督にお願いしてようやく許可されたという経緯があります…)

 

選手も色んなタイプがあるように、監督も色んなタイプがいます。

監督の手腕によってさらに飛躍するパターンもあれば、高く跳べるはずの翼に傷を付けるパターンもあります。

コンセイソンの罪深い点を挙げるとするなら、今シーズンは戦術を更に構築することを諦めて、起用する選手を固定化したことで限られた選手にしかチャンスを与えなかったことではないかと。

その決断によって、翔哉くんは試合から遠ざかるという事態になりました…。

監督が選手の翼に傷を付ける、それは一番恐れていたことでした。

 

そんなことがあったのなら、ポルトへの移籍は失敗だったのでは?と結論付けたくなるかもしれませんが、結論付けるにはまだ早いです。

ここからのアルアインでの半年間でまず翔哉くんが「サッカーを楽しむ」ことを取り戻す必要があります。

中島翔哉がサッカーを楽しんでいるときのプレーがどれだけ凄かったか、今まで彼を見守ってきた人なら知っている筈です。

この半年間でどれだけ取り戻すかによって未来が変わっていく可能性があります。

またポルトガルに戻るかもしれないし、別の欧州のクラブに行くかもしれないし。

正直な話、こういう私の文章が彼に届くかも分かりませんし、届かないかも知れませんし。

以前のブログにも書きましたが、彼の背中を追いかけ続けることは長く続く片想いみたいなものなので、本音としてはもう少しその背中を見届けて行きたい気持ちです。

これからの半年でどう世界を切り開いて行くのか、日本から見守っていければ…と思う次第です。

 

改めて翔哉くんに何か伝えるとするなら、「楽しんで!」

この言葉につきます。

 

(ポルト時代の画像はポルト公式アプリより)